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2019/12/13古都飛鳥保存財団情報「時は飛ぶ鳥の如し」第1期飛鳥応援大使 町田実

時は飛ぶ鳥の如し

       第1期飛鳥応援大使 町田実

 

 もう10年が過ぎてしまった、明日香風第108号“飛鳥応援大使決定”の欄に名前が載ってから。

24名中一番始めに掲載されたので大喜びした。が、その先には順不同とあった。なぁ~んだ成績順じゃなかったのか?と

少し凹んだのだった。2008年7月1日委嘱状が交付された。

 始めに飛鳥の未来を憂い、全国に必ずいるであろう“飛鳥ファン”を求め、飛鳥の歴史と文化を全国に発信すべく立ち上がった財団の先見性と実行力に敬意を表したい。

 次に、時間とカネと労力を惜しまず、そして何よりも飛鳥に対する熱い思いを携えて全国から集まった心豊かな大使仲間にエールを贈りたい。(一説によると、変な人?と呼ばれる人もかなりいるらしいが・・・)

 さて、私にとって飛鳥応援大使とは「単なる飛鳥のPRサポーターでなく、文化遺産の保存に関わる様々な事業への応援、併せて地域にまつわる歴史や魅力を各任地から全国に発信する「飛鳥サポートアンバサダー(大使)」だと理解している。そしてこの“こそばゆい”はたまた“誇りを象徴する”“大使という代名詞”こそが飽きっぽい性格の私を10年も続けられたエッセンスだと認識している。

 公的な記録は、事務局でまとめてくれている(と思う)ので、記念誌では個人的なエピソードを時系列に大使制度創設からの思い出を「ここだけの話?」として活字に残したい・・・マッお茶飲み話にでも読んで頂ければ幸いです。

 ところで「大使になった動機、いきさつは?」

壁画のカビや損傷が連日のように報じられた2006年頃「何とかならないものか?何かできることはないか?」と壁画の保存そして飛鳥の未来を憂い模索する日が続いた。そのような中、2007年10月飛鳥保存財団は「あつまれ・飛鳥ファン」のタイトルのもと“飛鳥応援大使”を募集した。その理念に感動し活動の場を求めていた私は「渡りに船」と、飛び乗った。

 

 2010年12月:凧揚げ大会の提案

第3回大使交流会の中で大使の有志から企画提案された凧揚げ大会は代表的なエピソードのひとつである。おりしもこの年は財団設立40周年記念の年だった。具体的には「壁画にある四神やその年のエトを題材に絵を描き、親子で凧を作り明日香の青空に揚げてはどうか?」こうした親子による共同作業を通じ、「子どもの時から壁画や遺跡に興味を持ってもらうこと。そして古墳壁画を始めとした文化遺産を守り、後世に伝えていく大人に育ってほしい。」がコンセプトだった。もちろん財団からの要請ではなく、二次会のアルコールのチカラによって盛り上がった裏話である。

 

 2014年4月:PRの先駆け

と位置づけ飛鳥応援大使の公式ジャンパーができる前に独自で(事務局承認済み)緑色のサンプルを制作し、飛鳥応援大使の名前を知らしめる手段とした。

 任地である信州(長野県)での任地はもとより、大使創設から10年間、飛鳥美人が印刷されたインパクトのある大使名刺を片手に、応援大使の公式ジャンパーを着て活動と飛鳥の紹介で現在19都府県を訪れた。(全国制覇を目指している)

 

 

 2015年9月:森川村長におねだり?

「日本国創生のとき~飛鳥を翔た女性たち~」が日本遺産に認定されたことを記念して文化庁から関係者のみに配布された非売品の限定ピンバッジがある。財団の広報紙の創刊号を飾った村長の衿のピンバッジを目にした瞬間、私の目は点になった。その飛鳥にふさわしいレベルの高いデザインはピンバッジのデザイン&販売を生業とする私にとって心をゆさぶられる正に垂涎の的となった。

 もう時効だと思うので・・・「じつは私の過去7年に亘る大使活動をベースに飛鳥の魅力を更に発信すべく、そのシンボルとしたいので分けて頂きたい。」と村長へ訴えたのでした。一週間後に内密で頂いた日本遺産認定ピンバッジは今、大使活動のシンボル、糧そして誇りとなり大使活動の大きな原動力となっている。「村長さん、ありがとうございました。」(アッ、ヤベーこれ50年間不開示のトップ・シークレットだった。)

 

 2016年1月:ある朝S教育長に言われてしまいました。

「町田さん、飛鳥の未来を考えての大使活動もいいけどさ~、たまにはこの町の活性化や未来も提案してくださいよ~」と。これは、過去に明日香村のパンフやイベントスケジュール、四神の館のリーフレットの配布を始め教育委員会の生涯学習課が主催する歴史の旅へ“明日香探訪の旅”を提案したことがベースにあったのか?「日々の大使活動が認知されてきた証拠だ!」と自画自賛したのだった。

 

 2017年10月:恐るべし大使証?

四神の館で天文図の特別公開があった時のことである。聞くところによると見学は「往復ハガキかネットによる予約が必要」とのこと。それでもと思ってキョロキョロ見回すと“当日受付できます”の立て看板を発見。「ラッキー!」と天にも昇る気持ちで受付へ。すると「運転免許証か健康保険証などの身分を証明できるものはありますか?」との思わぬ一言に愕然とする(まさに天から転げ落ちるような気分)「エッ?そんなもん持ってないよ、さっき夜行バスで着いたところだから・・・」すると「困りました~」と言いつつ受付嬢の視線は私が首から下げた大使証に注がれる。ピン!ときた私は「コッ コレでいいですか?」とオドオド尋ねる。間髪「結構です!」「ヤッター」この時ほど大使証の威力を感じたことはなかった。123名それぞれの大使の10年間にわたる活動が認められ評価されていることを実感した瞬間だった。「う~ん、恐るべし大使証!」

 

 2018年1月:「やった~100メートル揚がった~」

この年で7回目を迎える凧揚げ大会は、戌の角凧で事前に準備した100メートルの凧糸で挑戦した。凧揚げの条件は毎年違うが、凧は飛鳥の風に乗り全ての長さを伸びきり初めて大記録となった。そんな中、一番喜んだのは今回凧揚げをする子ども、でなく昔の子どもSさんだった。「いやぁ~町田さんこんなに楽しい凧揚げは54年ぶりですよ!」と興奮して持った糸をなかなか返してくれない。「早く返してくれや、次の子どもが待っているんだから・・・」

 この大使と財団により定着した一大イベントの凧揚げ大会だが子どもたちが成長し、干支が一回りする9年後、飛鳥はどんな顔を魅せてくれるだろうか?今から楽しみである。

 

 2018年2月:「村長へ私の提案」

を明日香村のホームページで発見した。村民でない私だが、明日香村を知りそして拘わり、長年活動を続けてきた飛鳥応援大使の一人として(明日香を愛する、思う気持ちは誰にも負けない、と自負する者として)「部外者であるがゆえに感じたこと、こうしたらいかがですか?」との提言を行なった。(紳士協定により内容の“のぼり旗”の制作について、はマル秘とさせて頂きます。)

 

 2018年7月:ポン友からの一言

「淋しくなるけど、そろそろ明日香村へ移住したら?・・・」思いもしない言葉にハッとした。「日本人の心のふるさと・・・飛鳥」と言われる田舎の原風景、風や空気、佇まい、石舞台の月、満点の星、そして1300年前の飛鳥びとが巡り会わせてくれた多くの出会いは仕事人間の私に、私の生き方に大きな影響を与えてくれた。この飛鳥はまさに「もうひとつの私の心のふるさとなのだ。」と実感する昨今への一言だった。

 

 毎年出す約300枚の年賀状

の左端に干支の獣頭人身像のイラスト(監修:阪南大学 来村多加史教授)を描いてキトラ古墳壁画のPRに努めている、あと3年で一回りする。

 

 

 山ほどある余談(10年の歴史は重く)

明日香村地域振興公社や飛鳥保存財団、当町の新聞店からの要請でのエッセイ、要請がないのに投稿した奈良新聞。当県長野市の河川敷での凧揚げ大会でNHK・TVや地元新聞社の取材を受けた。当町の広報誌に掲載された。他方、石舞台古墳を囲む桜の木のオーナーになった。ミカンの木のオーナーになった。ほとんどの民宿に泊まった。保存財団の個人特別会員になったなど。書きたいことは山ほどあるのだが文字数厳守と言われているので。・・・

 白秋に飛鳥と出会い、玄冬に向かおうとする今、飛鳥の魅力発信はもとより「国宝高松塚古墳壁画」や“国の重要文化財に指定されたキトラ古墳壁画”に代表される文化遺産を未来にそして後世に伝えることをライフワークとしたい。

 結びに、この“飛鳥応援大使創設10周年記念誌”がこれからの大使活動の一助となり、併せて飛鳥を愛する人々を発掘する移植ゴテやパレットナイフ、そして軍手になれたら望外の喜びです。(創設に種を蒔いた一人として。)

 

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