飛鳥宮跡(伝 飛鳥板蓋宮跡) (アスカキュウセキ(デン アスカイタブキノミヤアト)) 史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補遺跡・跡地
1959年からの発掘調査により、多くの掘立柱建物、掘立柱塀、石組溝、石敷遺構などが検出された。その遺構の変遷は、大きく三時期に分類され、それぞれ、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮であったことから、支配体制の変革や王権の存在形態、その歴史的変遷を考えるうえで重要である。平成28年に、名称が「伝飛鳥板蓋宮跡」から「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。
〈飛鳥板蓋宮〉
飛鳥板蓋宮は皇極天皇治世の宮。中大兄皇子・中臣鎌足が大化改新を断行し、蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変の舞台である。7世紀当時、檜皮葺や草葺の建物が通常の時代に板で屋根を葺いた斬新的な建物であったと思われる。
〈飛鳥京跡苑池遺構〉
岡集落の北西部で、1999年に見つかった庭園の遺跡。南池と北池のふたつの池からなり、中堤によってふたつの池が隔てられている。南池は池底に石を敷き詰め、一部に島状の石積がある。池の南側には横方向に孔を貫通させた石造物(写真左)が立ち、1916年発見の石造物との組み合わせで噴水施設と判明。北池は階段状の石積み護岸が設けられ、北東の辺には石組みの湧水施設があり、北辺の水路から飛鳥川への水を流す仕組みとなっている。天武紀14年「白錦後縁苑」の一部と考えられる。
基本データ
所在地 | 高市郡明日香村岡 |
駐車場 | なし |
アクセス | 近鉄「橿原神宮前」駅東口または近鉄吉野線「飛鳥駅」より奈良交通明日香周遊バス乗車。 「岡橋本」下車徒歩3分。 |