歴史に憩う橿原市博物館
施設
新沢千塚古墳群に隣接した博物館。新沢千塚古墳群から出土した貴重な遺物や貴重な遺物のほか、橿原市内の遺跡から出土した、縄文時代~江戸時代の遺物を手の届く距離で展示している。ハンズオンコナーやクイズ、ワークシートなどもあり、家族で楽しく歴史を体感できる施設になっている。
奈良県立万葉文化館
施設
『万葉集』を中心とした古代文化に関する総合文化拠点として開館した美術館・博物館。
・日本の古代文化に関する調査・研究機能、万葉に関する文化の振興を図る展示機能(万葉ミュージアム)
・万葉集に関する情報の収集提供を行う図書・情報サービス機能(万葉図書・情報室)
事前の発掘調査で明らかにされた飛鳥工房遺跡などの復原展示など遺跡と共存する文化施設。
高松塚壁画館
施設
特別史跡「高松塚古墳」に隣接し、館内には、壁画発見当時の精密な壁画模写「現状模写」をはじめ、剥落や汚れを加減した模写「一部復元模写」、さらに凝灰岩に漆喰を塗り再現した「再現模造模写」、棺を納めていた石槨を復元した「石槨模型」のほか、「副葬品レプリカ」を展示。高松塚古墳の全貌をわかりやすく紹介している。
飛鳥歴史公園館
施設
国営飛鳥歴史公園の「高松塚周辺地区」「石舞台地区」、「甘樫丘地区」、「祝戸地区」、「キトラ古墳周辺地区」各地区の施設や催し物の案内をはじめ、飛鳥地方の史跡や歴史を写真パネルや立体模型(ジオラマ)や映像を用いて紹介。「飛鳥歴史アニメ」やタッチパネルコンピュータ「飛鳥百景」など見ることができる。
飛鳥びとの館
施設
「道の駅飛鳥」の観光案内所。飛鳥の玄関口「近鉄飛鳥駅」のすぐ近くにあり、飛鳥の博物館施設や飲食店、宿泊施設のご案内や観光ルートの相談、周遊バス(通称:かめバス)のフリー切符販売、その他の移動手段(レンタサイクル・タクシー)についての案内を実施している。また、飛鳥ボランティアガイド申込の受付や土産品の販売も行っている。
高松塚古墳
特別史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補古墳
直径約23mの二段築成の円墳である。1972年の発掘調査によって彩色壁画を有する横口式石槨が存在していたことが明らかとなった。鎌倉時代に盗掘されており、副葬品は破損していたが、漆塗木棺が使用されていることがわかり、海獣葡萄鏡、金銅製飾棺金具、銀装大刀金具、琥珀丸玉、ガラス玉、丸玉などが残っていた。
キトラ古墳
特別史跡世界遺産構成資産候補古墳
明日香村の南西部にある阿部山の南斜面に築かれた直径約14m弱の円墳で、高さ約3.3mの二段築成となる。発掘調査により、排水施設の存在や版築とよばれる古代の土木工法によって墳丘が築かれていたことが明らかにされた。埋葬施設は凝灰岩の切石を使用した石槨で、天井石の内側は、マルコ山古墳と同様に屋根形に掘り込まれている。
牽牛子塚古墳
史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補古墳
越の丘陵上に位置する。対辺長22mの版築で築かれた八角形墳である。墳丘裾部の凝灰岩切石の石敷きの直上から大量の凝灰岩切石が出土しており、墳丘全体が凝灰岩の切石で装飾されていたことがわかった。埋葬施設は、凝灰岩の巨石を刳り抜いて造られた横口式石槨で、石室には二つの墓室が設けられていて、開口部には二重の閉塞石がある。
マルコ山古墳
史跡古墳
真弓丘陵の尾根南斜面に位置し、対角長約24mの高さ約5mの二段築成の多角形墳と思われる。墳丘の北側には石敷が巡ることや排水施設の存在が発掘調査で確認された。埋葬施設は、凝灰岩の切石を組み合わせて築いた横口式石槨で、床や天井部分、奥壁、側壁など計17石で築かれ、天井石の内側は屋根形に掘り込まれている。
天武・持統天皇陵
日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補古墳
東西38m、南北45mの八角形墳で五段築成と考えられている。天武天皇のために築かれたが、後に702年に亡くなった持統天皇が火葬され合葬されている。1235(文暦2)年に盗掘された際の実検記である『阿不幾乃山陵記』に記された記事と、『日本書紀』『続日本紀』などの記述が一致したため、天武・持統合葬陵である可能性が高い。
中尾山古墳
史跡世界遺産構成資産候補古墳
丘陵頂部に築かれた、対辺長約20m、三段築成の八角形墳である。墳丘の周囲には三重の外周石敷が巡らされる。埋葬施設は横口式石槨で、底石・奥壁・閉塞石・天井石各1石、側壁各2石、隅石(柱石)4石(1石は欠失)の計10石で構成されている。石槨規模は内法が約90cm四方で壁面は丁寧に磨かれており、水銀朱が塗布されている。
欽明天皇陵
日本遺産構成文化財古墳
「檜隈坂合陵」として日本に仏教が伝来した頃在位していた欽明天皇の陵に治定されている。墳丘は前方部を西に向け東西に正確に主軸をとった前方後円墳で、全長約140m 後円部径72mで、明日香村内では最大の古墳である。別名梅山古墳と呼ばれている。水を湛えた周濠は江戸末期の修復によるものとされている。
吉備姫王墓、猿石
日本遺産構成文化財古墳石造物
欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接し、墓は、8m程度の小円墳とされるが、考古学的な裏付けはない。古墳ではないとの説もあるが、現在は欽明天皇陵の陪塚とされている。この墓の西側の垣の中に猿石と呼ばれる花崗岩の石像が四体あることでも有名である。四体の猿石は、左から、女・山王権現・僧・男と呼ばれている。
鬼の俎・鬼の雪隠
史跡石造物
欽明陵の近くの道路をはさんで別々に存在している二つの巨石のこと。上にあるのを爼、下にあるのを雪隠という。これは古墳の石槨の底部と蓋がバラバラになったものである。大きさは、俎(石槨の底石)の方は長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。雪隠(石槨の蓋石)の方は内幅約1.5m、高さ約1.3mである。
亀石
史跡石造物
重さ10トンを超す花崗岩に亀の顔が巧みに彫られてある。猿石と同系の素朴な石彫で、何のためにここにあるのか謎とされている。橘寺か川原寺に関係のある飾り石であるとか、何かの境界をなしたとか、仏教渡来以前の土俗信仰を現わすものなどと推測されている。また亀が西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えも残る。
酒船石
日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補石造物
石造物のうちの一つで、平坦な表面に液の溜まりと溝様の彫り込みがある。酒を搾ったものであろうとの想像からこの名前がついたが、油を造ったものであろうとか、庭園の施設の一部であろうとか諸説ある。この石はもともと大きかったものが、近世にはいって高取城を築城する際に大きく割って搬出されたのではないかとの言い伝えがある。
亀形石造物
日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補石造物
酒船石遺跡の中でも北西の谷部に位置する謎の石造物。全長2.4m、幅2mの亀形を呈する。2000年に発掘によって発見された。顔を南向きに据えられ、丸く彫られた両目、4本の指の表現が施された両足が特徴的である。水は鼻から甲羅部分に流れ込み、円形の凹型の甲羅部分で水を溜め、V字状に彫られた尻尾の部分から流れ出すようになっている。
石舞台古墳
特別史跡世界遺産構成資産候補古墳石造物
我が国における代表的な方墳。墳丘の盛土が失われて、露出した天井石の上面が平らなことにちなんで、石舞台と呼ばれる。墳丘は1辺50mの方墳で、周囲には幅8.4mの濠がめぐり、巨大な両袖式の横穴式石室が露出している。石室の長さは19.1m、玄室は高さ約4.7m、幅約3.5m、奥行き約7.6mある。
飛鳥寺・蘇我入鹿首塚
史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補寺・神社
588年蘇我馬子の発願によって建立されたと伝えられる日本最古の仏教寺院。造営には百済から渡来した僧・寺工など、多くの新知識や技術を携えた人々がかかわった。1956年からの発掘調査によって、塔を中心に東・西・北に金堂を築き、中門からのびる回廊がこれらを取り囲む伽藍配置であることが明らかとなった。
橘寺
史跡世界遺産構成資産候補寺・神社
川原寺の南側、仏頭山北麓に位置し、聖徳太子建立七大寺の1つ。ほぼ東西方向に中門・塔・金堂・講堂が並ぶ四天王寺式の伽藍配置となることが発掘調査によって明らかにされている。伽藍創建時の様子は不明であるが、金堂の造営が7世紀の前半頃、講堂の造営は8世紀、塔はその間の時期に造営されたと考えられている。
川原寺(弘福寺)
史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補寺・神社遺跡・跡地
川原寺は飛鳥寺、薬師寺、大官大寺と並び飛鳥の四大寺に数えられたが、焼失、再建後、また焼失し衰退する。その広大な境内跡の一部に真言宗豊山派の弘福寺が建ち川原寺の法灯を引き継ぎ歴史を伝えている。1957~59年に行われた発掘調査によって南大門、中門、塔、西金堂、中金堂、講堂、回廊などが検出された。
岡寺(龍蓋寺)
史跡寺・神社
山号・院号・寺名から『東光山 真珠院 龍蓋寺』とよばれる。本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。この仏像は日本最大の塑像として有名で重文に指定されている。創建当初より興福寺との関連が深く、現在は長谷寺の末寺として真言宗豊山派の寺院に属している。西国三十三所観音霊場の第7番札所とし多くの参詣者を集めている。
豊浦宮跡・豊浦寺跡( 向原寺)
日本遺産構成文化財寺・神社遺跡・跡地
甘樫丘の麓に向原寺がある。複数回の発掘調査から、豊浦寺の金堂・講堂と思われる伽藍配置の一部が明らかとなり、その下層から石組溝や列柱などの遺構が発見された。日本最初の女帝である推古天皇の豊浦宮の跡と考えられている。豊浦の地は蘇我氏の本拠地であり、この豊浦宮の造営から飛鳥時代が始まったと言われている。
山田寺跡
特別史跡世界遺産構成資産候補寺・神社遺跡・跡地
桜井市山田に所在。641年に蘇我倉山田石川麻呂が発願し造営を始めたとされる。石川麻呂は大化改新で功臣となったが、649年に謀反の嫌疑により自刃し造営は中断した。その後冤罪を認められ造営は続けられ官寺に次ぐ扱いを受けている。「扶桑略記」には、藤原道長が「奇偉荘厳は言葉で言い尽くせない」と感嘆した旨記されている。
飛鳥宮跡(伝 飛鳥板蓋宮跡)
史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補遺跡・跡地
1959年からの発掘調査により、多くの掘立柱建物、掘立柱塀、石組溝、石敷遺構などが検出された。その遺構の変遷は、大きく三時期に分類され、それぞれ、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮であったことから、支配体制の変革や王権の存在形態、その歴史的変遷を考えるうえで重要である。平成28年に、名称が「伝飛鳥板蓋宮跡」から「飛鳥宮跡」に改められた。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のもの。
飛鳥水落遺跡
史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補遺跡・跡地
甘樫丘の東側、飛鳥寺の西側に位置する。発掘調査の結果、特異な正方形の基壇を持つ大形の建物遺構が見つかった。発見された遺構は他に、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置を持ち、中国に現存する元・明・清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡が検出されている。
檜隈寺跡/於美阿志神社
史跡世界遺産構成資産候補寺・神社遺跡・跡地
昭和54年からの発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが検出されている。これらの伽藍配置は塔の北に講堂があり、南に金堂を置くという特異な配置であり、かつ瓦積基壇という工法は、近江、山城、そして朝鮮半島の寺院で多く用いられており、日本への導入も渡来系氏族との関係が指摘されている。
飛鳥坐神社
寺・神社
創建は不明だが延喜式には「飛鳥坐神社四座 並名神大 月次 新嘗 相嘗」の制に預かるとされ、重要な扱いを受けていた神社である。神託により829年3月10日現在の地に遷座されたことが「日本紀略」に記されている。毎年2月の第一日曜日には奇祭「おんだ祭り」が行われ五穀豊穣・子孫繁栄を祈願する参詣者でにぎわう。
飛鳥川
日本遺産構成文化財自然
飛鳥地方を貫流して大和川にそそぐ美しい川。現在は川幅が狭くなっているが、古代には水量も豊かで流れが激しく、しばしば氾濫しては飛鳥人を悩ませていた。しかし人々は、この川のすべての風物を愛し、日常の生活感情と結びつけては歌に詠んでいた。それらの歌は万葉集の中に数多く残されている。
奥飛鳥
日本遺産構成文化財自然
稲渕、栢森、入谷の三集落周辺を指す。飛鳥川流域には、南淵請安の墓とされる石碑(写真左中央)や飛鳥川の飛石と呼ばれる石、美しい棚田の風景が存在し、「奥飛鳥の文化的景観」の名称で重要文化的景観に選定されている。稲渕の集落入口の飛鳥川には「男綱」、栢森の集落入り口の飛鳥川には「女綱」が渡されている。
甘樫丘
自然遺跡・跡地
明日香村豊浦にある標高148mの小高い丘陵で、頂上からは飛鳥一円はもちろん、大和三山、葛城山、金剛山、二上山などが眺望できる。散策路の一部は万葉の植物園路として『万葉集』『古事記』『日本書紀』などにうたわれた40種類の万葉植物が観察でき、犬養孝揮毫の第1号歌碑もあり景観や草花とともに万葉の世界を満喫できる。
藤原宮跡
特別史跡日本遺産構成文化財世界遺産構成資産候補遺跡・跡地
藤原宮跡は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところ。藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国の儀式や政治を行う施設、天皇の住まいの内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていた。16年間の短い都だったが、藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていった。